こんにちは。

 

 

愛鳥ちゃんが、カーテンレールの上に止まりたがるので、

 

カーテンレールも、お掃除するようにしました。

 

 

夫くんが、動物たちに向く余裕があると、

 

動物たちはイキイキして、

 

私も嬉しくて、お料理も美味しくできます。

 

 

結局、

 

動物にいいことは、人にもいいことで、

 

 

気取らない愛情のやり取りや、丁寧な生活が、

 

心を満たすし、

 

心を満たすために、生きているんだな、と思います。

 

 

 

誰かのためになりたい、とか

 

うちの子に健やかで楽しんでもらいたい、というとき、

 

自分が幸せなのが大事ですけど、

 

 

 

幸せをどう定義しているかが、重要です。

 

 

例えば、

 

『刺激的な快感、とか、特別感』だけを求めていると、

 

刺激に慣れて、どんどん強くしていかないといけない不感症になるし、

 

 

『褒められて嬉しい』が幸せだと意識して、求めていると、

 

人の見方は十人十色なので、

 

たまにしか、幸せがこないか、

 

人に合わせて、自分を見失うことになるとか。

 

 

 

はたまた

 

『ない、を、ある、に変える』が幸せだとして、求めていると、

 

いつも、ないものを見る癖で、

 

いつも不満足な気持ちになってしまう。

 

 

どうしても、

 

『求める姿勢』自体、

 

今ある嬉しさ、喜び、幸せ、ありがたさを、

 

見えなく、感じさせなくしてしまう面があります。

 

 

 

向上心はいいもの、というイメージがあって、

 

求める姿勢も、いいものと考えがちですけども、

 

求める姿勢には、そういう面がついてきます。

 

 

 

結局のところ、

 

幸せは、求めるものでなくて、

 

もう、ここにある、穏やかな嬉しさを感じること。

 

 

 

刺激的なのも、褒められるのも、ゲットするのも、

 

それだけに執着しないで、

 

やってきたときに受け入れて、満喫するのが、

 

健全で、ストレスフリーで、動物の姿でもあります。

 

 

 

(それに加えて、人は、受け入れた後、

 

さらに、よりよいものを取り入れる行動を選択することもできます)

 

 

 

動物を大事にして、丁寧に暮らすことで、

 

いろんな『いいこと』に気づきます。

 

ただ、動物でなくても、

 

人が『大好きなもの』の数だけ、無数に、

 

気づきの窓口があるのだろうと思います☆

 

 

 

では、また!